1947年 | 角膜にメスを入れて近視矯正するサトウズオペレーションを佐藤勉が開発 |
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1974年 | 旧ソ連のフョドロフがサトウズオペレーションを参考にRKを開発 |
1983年 | 米国のトロッケルがエキシマレーザーを使ったPRKを開発 |
1990年 | ギリシャのパリカリスがレーシックを開発 |
1992年 | 米国のザイラーが世界で初めてレーシック手術を執刀 |
1994年 | 日本初のレーシック手術を深作秀春が執刀 |
2002年 | 米国陸軍がレーシックを解禁し推奨開始 |
2006年 | 米国にてパイロットのレーシックが認可 |
2007年 | NASAが宇宙飛行士のレーシックを認可 |
目次
レーシックの歴史は日本から始まった
角膜の病気からアイデアが生まれた
1900年代、角膜にメスを入れることで乱視を治す手術が開発されました。しかし関心を集めることはなく、普及しませんでした。
1936年のある夏の日。順天堂医院眼科の佐藤勉教授を1人の患者が訪ねました。円錐角膜という病気による浮腫で患者の角膜は真っ白になっており、視力が失われていました。しかし2ヶ月後には角膜の傷が治りました。そして驚くべきことが起こります。傷が治ることで角膜の形が変わり、なんと視力が以前より向上していたのです。
「角膜にメスを入れて形を変えれば近視を矯正できるのでは?」と、佐藤勉教授は画期的な手術を思いつきました。
1939年、第二次世界大戦が開始された当時、佐藤勉教授は円錐角膜の患者に対して角膜にメスを入れることで近視を矯正できることを発見しました。
佐藤勉と戦争が生んだサトウズオペレーション
1941年、日本は第二次世界大戦に参戦しました。日本軍は徴兵収集する際に身体検査を行っていました。なぜなら不健康な場合は戦地で戦力にならないからです。近視で目が悪い人が多かったため日本軍は戦力不足を懸念していました。
1943年、日本軍は「視力が戦力になる」と判断し、佐藤勉教授の手術研究に援助をしました。
1947年、佐藤勉教授はウサギの目を利用して研究を進め、サトウズオペレーションと呼ばれる手術を開発しました。サトウズオペレーションは、角膜の前面と後面を放射状にメスで切開する手術です。
1951年、第二次世界大戦中には間に合いませんでしたが、サトウズオペレーションはヒトに対して応用される手術となりました。
術後に合併症が発生したため普及せず
画期的な手術で眼科界隈を震撼させたサトウズオペレーション。しかし大問題を抱えていました。
術後から数十年経過後、水疱性角膜症という合併症が発生することが明らかになったのです。手術を開発した佐藤勉教授は既に亡くなっていました。
「近視を手術で矯正するのは危険」眼科に携わる人たち、一般人の間にネガティブな雰囲気が蔓延しました。当時はハードコンタクトレンズの普及が始まったこともあり、なおさら近視矯正手術は敬遠されるようになりました。
旧ソ連でRK手術が誕生
メガネを割って目に傷を負った少年
1972年、旧ソ連で眼科医フョドロフを1人の少年が訪ねました。少年はメガネを割って角膜を傷つけてしまったのです。角膜の傷が治ると、なんと視力が以前より回復しました。
フョドロフがサトウズオペレーションを参考にRKを開発
サトウズオペレーションを既に知っていたフョドロフはピンときたのでしょう。フョドロフは佐藤勉教授の文献を調べて研究し、RK手術を開発しました。
サトウズオペレーションでは角膜の前面と後面を放射状に切開しますが、RKでは前面のみを放射状に切開します。
1978年、RK手術はアメリカに上陸して大きく普及しました。
日本の著名人では水道橋博士が20代の頃にRK手術を受けました。その後水道橋博士はレーシックも受けています。
アメリカでエキシマレーザーによるPRK手術が誕生
トロッケルとエキシマレーザーの出会い
1983年、米国コロンビア大学眼科教授のトロッケルは研究所で1枚の写真を見ました。その写真は、エキシマレーザーで精密加工された毛髪の顕微鏡写真でした。
「エキシマレーザーの加工能力はすごいな…RK手術でメスの代わりに使えるのではないだろうか」と、トロッケルは考えました。しかしエキシマレーザー装置は高額で大がかりだったため、手術用メスとして利用するのは微妙でした。
そこでトロッケルは大胆な発想を思いつきました。「エキシマレーザーをメスとして使うのではなく、そのまま角膜に照射して角膜の形状を変えれば近視を治せるかもしれない」
PRK手術が開発され急速に普及
1986年、トロッケルはエキシマレーザーによるPRK手術を開発しました。PRKはエキシマレーザーで角膜表面を削る手術です。
1995年、FDA(米国食品医薬局)で近視手術にてエキシマレーザーを用いることが認可されました。
RKはメスを使うため術者の感覚に頼る部分が大きく、精度もあまり良くありませんでした。一方でPRKはコンピュータ制御されたレーザーで角膜を削るため、精度が高く、革新的な手術となりました。
ギリシャでレーシックが誕生
PRK手術が抱えていた欠点
革新的なPRKにも欠点はありました。角膜の表面から直接レーザーで削り取るため術後の痛みが強かったり、術後の回復期間中に角膜が濁ることがあったりするのです。要は手術後の回復に負担がかかる手術なのです。
パリカリスがレーシックを開発
PRKのデメリットをなくすために、角膜の表面を薄くスライスして取り除いてからエキシマレーザーを照射して、最後にスライスした表面を貼り付けるアイデアが生まれました。しかし薄くスライスした角膜表面をぴったりと元の位置に戻すことはできません。
そこでパリカリスは画期的な方法を見つけました。角膜の表面を薄くスライスする際に、一部分だけ切り離さないで蓋のような状態にしたのです。こうすることで、エキシマレーザーで角膜を削った後に、薄くスライスした角膜の表面を元に戻すことができるようになりました。フラップの誕生です。
1990年、パリカリスはレーシックを開発しました。フラップを作ることで術後の痛みが減り、回復も早くなりました。
イントラレーシックが誕生
マイクロケラトームの課題
レーシックでフラップを作る際に用いられるのがマイクロケラトームというカンナのようなメスでした。
マイクロケラトームによるフラップ作成は以下の問題を抱えていました。
- 術者の技量・感覚に依存する
- フラップにスジが生じるため夜間視力の質が悪くなる可能性がある
- フラップがずれやすい
フェムトセカンドレーザーの誕生
2001年、質の高いフラップを安定的に作る手段としてフェムトセカンドレーザーが開発されました。フェムトセカンドレーザーは1000兆分の1秒という非常に短い間隔のレーザーです。
フェムトセカンドレーザーはイントラレース社が開発しているため「イントラレーシック」と呼ばれるようになりました。
現在の主流はイントラレーシックですが、マイクロケラトームによるレーシックは現在でも行われています。
進化し続ける近視矯正手術
ここまでレーシックの歴史について紹介してきました。レーシックを含む近視矯正手術は現在も進化を続けています。
近年ではICLと呼ばれる眼内レンズを埋め込むことで近視を矯正する手法も注目されています。
レーシックの進化には軍事が関わってきました。その一つにアイトラッキングシステムがあります。エキシマレーザーを目に照射する際、目が動くと照射箇所がずれる可能性があります。そこで目の動きを追うシステムを作る際に活用されたのが、アメリカ空軍のミサイル発射技術です。